会話速度とセレブ度についての考察 [エッセイ]
セレブになるためにはまず早口でなくてはならない、と思わされる事が度々ある。
この場合日本人もヨーロピアンも、状況はあまり変わらない。
たとえばパーティーの席。
その時に、
「まぁ!お久しぶりね。お元気でいらっしゃる?すっかりご無沙汰してしまってごめんなさいね。でも◇さん、いつ見ても本当にお若くてお綺麗でらっしゃるわね。そのスカーフも本当に素敵だわ」
と、このくらいの事はまずさらりと言えるようでなくてはならない。
ここで相手に先手を取られてしまうと、
「いえいえ、そんな…」
などと謙遜し、おほほと照れ笑いをしているうちに、
「あら、○さんだわ。ごめんなさい、ちょっとご挨拶してこなくちゃ。今日はお話できてとっても楽しかったわ。それでは皆様にもどうぞくれぐれもよろしくお伝え下さいませ」
と、忙しいマダムは風のように去ってしまい、
そののち、
「ああ、何も言いたい事が言えなかった。この前のお礼もしなくてはいけなかったのに。でも今更行ってもなんだかおかしいわ…どうしましょう」
と予期せぬ苦境に自らを追い込む事になってしまうのである。
まぁ、しかし私はまだ年端のいかぬ小娘に過ぎないので、今はそこまで会話をリードする必要はないのかもしれない。
でもやっぱり、後になって自分が
《はい》
《とんでもない》
《こちらこそ》
しか言葉を発していなかったことに気づくのは、やはり相当恥ずかしく、
「ちょっと頭のよろしくないお嬢さんだわね、ふふん」
と思われても致し方ないのはあまりにも情けない。
控えめに振舞いつつも、しっかり言うべき事は言う。
その絶妙な間合いが掴めなくては、セレブへの道のりはまだまだ遠いのだ。
備考:皇室の方々の極みにいけば、また話は別。
ゆっくりと搾り出すようなあのお話の仕方は、至上の高貴さを感じさせます。
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